華岡青洲の妻の実家・江戸時代の様子を今に伝える「旧名手宿本陣妹背家住宅」
青洲の里から車で約5分、紀ノ川にむかって南下したところに「旧名手宿本陣妹背家住宅」があります。江戸時代の1700年代に建てられた住宅が保存され、当時の様子を今に伝えることで、国指定の重要文化財、国指定史跡にも認定されています。また、華岡青洲の妻、加恵の生家としても知られています。
中世以来の名家妹背家の住宅
1985年(昭和60年)に復元改修工事をされた主屋は、とてもよい保存状態を保っています。
2月に訪れた際には、ひな人形が飾られていました。
歴代のお嬢様のひな人形でしょうか、古いものから新しいものまでたくさんのお人形が並んでいます。
妹背家は、中世以来紀伊八庄司のひとつにあげられた名家で、当地の土豪でした。1619年徳川頼宣が紀州藩主として入封した際、在地の由緒ある者を、苗字帯刀を許すことはもとより、村々を統治する地方の代官としての役割を果たす地士(じし)として処遇します。その際、妹背家はその地士頭の扱いを受けたのです。
展示されている資料からは、訴状の取り扱いなどもしていたことがわかります。
参勤交代の際に藩主が宿泊する「本陣」に
妹背家は大和街道に面していることから、藩主の参勤交代の際にこの家に宿泊するようになりました。以来「名手宿本陣」と呼ばれるように。
大きなかまど。使用人やたくさんの人の食事を作っていたことが伺えます。
立派な石造りの井戸も残っています。
白い南蔵、その奥に米蔵があります。どちらも1600年代の棟札が発見されており、本陣の遺構とともに価値の高いものです。
青洲の里の「春林軒」とこの「妹背家住宅」を比べると、地士のお嬢様育ちであったであろう華岡青洲の妻・加恵の苦労が偲ばれる気もします。
入場料は無料、火曜日定休です。
訪れる際は、公式ホームページなどで最新情報をチェックしてください。
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