幕末の歴史を学べる!龍神の山奥に今もひっそりと佇む「天誅倉」
吊り橋や滝、高野龍神スカイライン、3つの道の駅(龍神、龍游、ごまさんスカイタワー)がある龍神村。和歌山県の中央東部に位置するのどかな村です。
高野龍神スカイラインを抜けると高野山方面に、県境を超えると奈良県十津川村にも出ることができる、バイカーに人気のルートです。
そんな龍神に、「天誅倉(てんちゅうぐら)」という変わった名前の古い倉があります。その歴史は幕末の激動の時代と深く関わっています。
天誅倉のアクセスと駐車場
天誅倉は道の駅 龍神から車で約4分のところにあります。走りやすい道なのでナビ通りに進めば問題ありません。
道なりに進むと天誅倉の専用駐車場が見えてきます。4〜5台駐車可能です。倉自体は民家の間にあるので見落としやすいので駐車場を目印にしてください。
この階段を登っていきます。一見古い倉にしか見えませんがここが天誅倉です。
天誅倉の歴史
天誅という物騒な名前がついていますが、ここは天誅が下された場所ではありません。元々は尊皇倒幕を志した天誅組という幕末志士たちが、孝明天皇大和行幸の先駆けをしようと江戸幕府の五條代官所を襲いましたが敗北して逃れる途中、刑死を覚悟で紀州藩に自首し、京都に護送されるまでの間幽閉された場所です。当時、喜助という百姓の倉でした。
リーダーの水郡長雄(にごりながお)らの意気込みに感じ入った紀州藩の吉本任(よしもとたもつ)は、収容した倉で酒肴をととのえてもてなし、医師を呼んで負傷者を治療させました。看板にもありますがこれは「捕虜というよりは客人としての待遇」だったそうです。
謀反の罪でこれから京都に送られる身でありながら手厚い看護をしてくれたことに感謝した水郡は自らの血で辞世の歌をここの柱に書き記しました。見学できるのは本物の血文字ではなくレプリカです。
天誅倉内部の様子
天誅倉の戸は閉まっていますが、中に入って見学することができます。中に入れることを知らずに帰ってしまう人がいるそうなのでもったいない!
結構しっかりとした展示がされているのでぜひ中に入ってみてください。
2階に上がるとミニチュアがあります。天誅組を介抱し、血文字で辞世の歌を書き記す水郡の様子が再現されています。
入ってみると分かりますが、間取りが本当にミニチュアのままなので、当時の状態を忠実に再現した倉であることが分かります。
まさか龍神村の山奥で幕末志士に関する場所を見学できるとは思っていませんでした。歴史好きな方、当時の様子を知りたい方はぜひ足を運んでみてください。