真田幸村の抜け穴伝説の遺跡が九度山に!九度山から大阪城まで続いていた?
道の駅柿の郷くどやまから車で数分、真田幸村の伝説が残るエリアがあります。
真田幸村父子の屋敷跡に建てられた寺である「真田庵」や展示施設「真田ミュージアム」、そば処の「幸村庵」などがまとまっています。まちなかの看板も真田幸村一色!ファンにはとても楽しいエリアです。
真田庵で感じられる真田親子の暮らしぶりも記事にしていますのでぜひご覧ください。
その真田庵から徒歩2分ほどのところに真田幸村の抜け穴伝説も残っていますので、今回ご紹介します。
無料駐車場に車を停めて、徒歩で散策を
丹生川のほとりに、町営の無料駐車場があります。九度山は大変道が狭いので、車はできるだけ置いて、歩いて回るのが安心です。
午前8時〜午後6時まで無料開放されています。ここが満車の場合は、道の駅柿の郷くどやまに停められます。
真田庵へ向かい、さらにその奥が「真田の抜け穴」
真田庵を抜けると、真田の抜け穴(真田古墳)の看板が目に入ります。
九度山町はこのような案内看板が至る所にあり、携帯ナビなどを使わなくても歩いて回れるため、観光しやすい場所だと思います。
真田の抜け穴は町内唯一の古墳「真田古墳」
町内に残る伝承から「真田幸村が大坂城へ向かうためのトンネルだった」といわれています。のぞいてみるとすごくしっかりと積まれた石が見えます。けれどそれほど大きなサイズではないですね。資料によると高さは1.7メートル、くぐっていくには少し大人だとしんどいサイズです。
…この抜け穴の近くに掲示された資料を見てみると、大坂城まで続いていたというのは本当に伝承で、実際には6世紀ごろにつくられた横穴式古墳だそうです。
真田幸村は大阪で抜け穴を掘っていたという説がありますから、その伝説に沿って九度山の方々が幸村を思って、「(九度山の)抜け穴」と名を付けたのだと思います。
抜け穴の周囲はきれいに整備されていて、資料もしっかりと読むことができました。
九度山にはたくさんの幸村にまつわる話が残されているのですが、それだけ九度山の方々が真田幸村を慕っていたのでしょうね。
真田ミュージアムなどに来られた際は、ぜひ幸村にまつわるスポットを回ってみてください。