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その他観光 2022.02.26

華岡青洲の妻の実家・江戸時代の様子を今に伝える「旧名手宿本陣妹背家住宅」

青洲の里から車で約5分、紀ノ川にむかって南下したところに「旧名手宿本陣妹背家住宅」があります。江戸時代の1700年代に建てられた住宅が保存され、当時の様子を今に伝えることで、国指定の重要文化財、国指定史跡にも認定されています。また、華岡青洲の妻、加恵の生家としても知られています。

 

中世以来の名家妹背家の住宅

1985年(昭和60年)に復元改修工事をされた主屋は、とてもよい保存状態を保っています。

 

2月に訪れた際には、ひな人形が飾られていました。

歴代のお嬢様のひな人形でしょうか、古いものから新しいものまでたくさんのお人形が並んでいます。

 

妹背家は、中世以来紀伊八庄司のひとつにあげられた名家で、当地の土豪でした。1619年徳川頼宣が紀州藩主として入封した際、在地の由緒ある者を、苗字帯刀を許すことはもとより、村々を統治する地方の代官としての役割を果たす地士(じし)として処遇します。その際、妹背家はその地士頭の扱いを受けたのです。

 

展示されている資料からは、訴状の取り扱いなどもしていたことがわかります。

 

参勤交代の際に藩主が宿泊する「本陣」に

妹背家は大和街道に面していることから、藩主の参勤交代の際にこの家に宿泊するようになりました。以来「名手宿本陣」と呼ばれるように。

 

大きなかまど。使用人やたくさんの人の食事を作っていたことが伺えます。

 

立派な石造りの井戸も残っています。

 

白い南蔵、その奥に米蔵があります。どちらも1600年代の棟札が発見されており、本陣の遺構とともに価値の高いものです。

 

青洲の里の「春林軒」とこの「妹背家住宅」を比べると、地士のお嬢様育ちであったであろう華岡青洲の妻・加恵の苦労が偲ばれる気もします。

 

入場料は無料、火曜日定休です。

訪れる際は、公式ホームページなどで最新情報をチェックしてください。


https://goo.gl/maps/wcPVBVsCf654ZqeH8

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この記事を書いた人

二階堂ねこ

奈良育ち、大阪の出版社勤務を経て、結婚を機に和歌山に。在住約20年を数え、もうすっかり和歌山人のつもりです。海のある街に猫と住む夢が叶ってごきげん。取材やインタビューをメインに活動しつつ、地域の魅力を発信したいフリーライター。

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